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圧縮しないと流れていってしまう日常?/食べものをシェアできるってありがたい。


ブログに書けていないことがたくさんあります。毎日ブログのエディターは触るのですが、1本の記事にならずに眠っている下書きの記事が何本もあったりします。ぎゅっとまとめないと、思ったことや感じたことって書ききれないんだなと思いました。

適当に、自分のペースで思いを吐き出していけたらと思います。

久しぶりに家の裏の画廊へ行ってきました。借りていた本を返し、作品を見て、お酒をやおつまみをいただきながら私のガーディアンと作家さんと画廊の方とお話をしました。私はいつもなぜか腹ペコで立ち寄ってしまうのでお菓子を食べ過ぎてしまいました。ごめんなさい、ありがとうございました。

異国で言葉が通じなくてもコミュニケーションできる

そういえば私は韓国の画廊へ行った時、実は泣きました。そこの画廊には英語も当然何もなくて、私の読めないハングルでのタイトルと説明文しかなかったのですが、映像作品を見ているうちにだんだん流れがつかめてきて、隣に置いている関連作品に映像作品に出てきたものの一部が使われているということがわかりました。

知らない人に、その人の食べている食べ物の一部をくれないかとお願いする作品で、本当にいろんな人の態度や表情を伺うことができました。一口くらい、別に問題がないし私だったらあげるのになあと思いましたが、本当にいろんな人がいました。

人間ってなかなか知らない人にシェアできないんだなあと思いました。お金でもなんでもなくて食べ物一口だけなのになあ。

もらった食べ物は綺麗なクリスタルに入れられてオブジェになっていました。

結局作家さんに偶然会うことができて、背景とか聞けて、いろいろ話せてよかった〜となってまた泣きました。私は表現している人が好きです。私の知っている言語で説明がなされてなくてもそれをきっかけにコミュニケーションが取れてよかったです。

シェアするかシェアしないかの線引きってどこからでしょうか

私はすごい方向音痴なので、いつも小まめに人に道を聞きます。例えば韓国から日本に帰るときはマレーシアから旅行に来た夫婦とベイビーちゃんに混ざって一緒に空港へ向かっていました。

ケンドリック・ラマー似のお父さんに、色白でかわいらしいお母さんでした。

ベイビーちゃんはとてもかわいくて、全然知らない人にマフィンとかをプレゼントされていました。夫婦によるとベイビーちゃんは韓国滞在中にいくつチョコレートをゲットしたか分からないのだそうです。

知らない人にシェアされて、この子はひょっとしてこんな風に食べ物に困ることなく生きていけるかもしれないと思いました。

大人になると、理由が不十分だと食べ物なんて恵んでもらえない/救済してもらえないかもしれません。知らない人に対して厳しいなあ。これに関しては、食べ物一口あげるのに信頼・信用もしくは十分な理由とかっていらないんじゃないの?と思いました。

食べ物一口ぐらいあげても私は困らないはずなので、私は何があってもあまりケチケチせず/恐れずにいきたいなと思いました。

タイ料理おいしかった

夜は名古屋で一番美味しいと思われるタイ料理屋に行って来ました。

表現者のリテラシーを求めるなら鑑賞者のリテラシーも求めていい?という話をして、もし鑑賞者にそれだけリテラシーがあるんだったらみんなもっとカンタンに作家になれているのではないかっていう発言が作家さんの口から出て、面白かったです。

 

それにしても、人間疲れるなあ。なぜ会社は人を疲弊させるんだろう。一瞬自分のいる環境に疑いを持つことがあります。

とある問題の原因探しをしていたら犯人探し/粗探しと言われたことがあります。原因が分からないと次同じことが起きないようにするための対策が出来ないのに、すごいネガティヴな発言を聞いて少しがっかりしました。

しかし、No fucks givenです。

Rick and Mortyのミスタープーピーバットホールの回を観て回復しようと思います。

 

それではまた次回のブログポストで。

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